1990年を振り返って・・・・・

Memorial Year 1990
SUZUKAの夜明け(’90F1日本GP決勝当日)
 1990年、この年は、私にとって生涯忘れる事の出来ない1年、そして、生涯の中で
一番、自分のもてる時間を思うままに使った1年だっただろう。

 1989年正月、私は、2年後、親の家業継承のため帰郷することを決意した。
バブル経済が崩壊の兆しが見えはじめ、私の仕事、コンピュータ産業にも、設備投資を
控え出す企業の影響が出はじめた。
帰郷後、何度も東京に帰りたい、前の仕事に戻りたいと思ったことか・・・
でも、後になってこの決断が正しいことがわかった。前の会社のシステム事業部が、
’92年になくなった事をしったからだ。

 1990年正月、1年3ヶ月後(’91年4月)の帰郷を目前として、私は、この年を
悔いのない年にしようと決意した。日頃、あまり有給休暇を消化していない私は、
この時すでに、20日の休暇をプールしていた。もちろん、4月になると、また増える。
 まず、以前、チームカメラマン契約をしていたF3のチームに、’90年度の私のカメラマン
協力を打診。美祢サーキットを除く、すべてのレースのスタッフパスを確保していただき、
私の行けるレースでは、すべてのネガを提供することを約束した。
そのため、この年のレース写真は、すべてネガは無いため、今回のHPには、
スキャナー入力で行った。

 結局、F3のレースは、今回UPしているSUZUKA開幕戦をはじめ、富士、SUGO
西仙台までもサーキットへ足を運んだ。金曜日の夜に東京を出て、土曜日はホテルに
宿泊そして、日曜日に帰宅する。月曜日は有給休暇をとって休養した。
 F3以外にも、チームから入手できるチケット(ほとんどが無料、パドックパス)で、
いろんなレースを観戦した。7月から10月はほぼ毎週サーキットに行って、レースを
楽しんだ。今思うと、本当に贅沢な時だった。
 チームスタッフとも仲良くなり、サーキット走行会もよんでもらったりした。時には、レース
クイーンの女の子と一緒に、SUZUKAへむかったりすることもあった。
 特に、今回UPした開幕戦”SUZUKA 2&4”は一番思い出がある。開幕戦はいわば、
お祭りのようなもの、新しいカラーリングのマシンが並ぶ、そして、レースクイーンも・・・・
ドライバーたちもうれしそう、そして、この一年を占うようなレースとなった。

 また、F1の時も、チケット、ホテルの手配をチームにしてもらう事になった。しかし、結局
ホテルについては津都ホテルをおさえることができたが、チケットについては、ヘアピンと
なった。なにしろ、’90年というのは、F1ブームの絶頂期、観戦チケットも抽選の時代だった
から、いくらレース関係者でも難しかった。

 その代わり、駐車場が最高の場所をキープ出来た。私の会社の国際事業部がこの時、
F1日本GPのプレス受付の仕事をしており、その部長に頼んで、サーキット内の駐車場を
確保出来た。今のサーキットホテルの横の進入路から中に入るサーキットホール裏である。
 この年のF1はなんと、木曜日の晩からSUZUKAへ向かった。この時も、国際事業部の
部長から、国際事業部の女性を一緒に連れて行ってほしいと言われ、結局、当初から
一緒にいく予定だった二人とあわせて4人でのSUZUKAツアーとなった。

 金、土曜日はフリーに、各スタンドへ入れるため、二人ずつの二組に分かれて、
いろんな場所で各セッションを見た。トランシーバーを使って、お互いの連絡を
とりあったりもした。
 シケイン、ヘアピン、スプーン、逆バンク、S字とサーキットを歩き回った。金曜の夜は、
さすがにホテルでダウンしたが、土曜日は夜は津市内,4人で大宴会となり、そして夜が
明けない4時頃にもうホテルを出て、サーキットへ、そしてサーキットで夜明けを迎えた。
 決勝レースは、ご存じのように、セナ、プロストがスタートの1コーナーで衝突、
コースアウト。次の周回ではベルガーが2コーナーでスピンコースアウト、タイヤ交換で
マンセル再スタート出来ずリタイヤという最悪のシナリオ。
 そして、あのドライバーが3位表彰台が確実となった時、一緒に行ったみんなが、帰路
につくことを決意、レースを残り20LAP以上残して、SUZUKAから帰路についた。
サーキットの周辺道路はすでに渋滞。しかし、この年は午後10時頃には帰宅することが
出来ていた。
 今から思うと、レースを1/3も残して帰ったのは、この’90F1日本GPだけで、
生涯も唯一となるだろう。それだけに、この年のF1日本GPは本当に思い出深いレース
となった。そして、この年が、私の「SUZUKA addict 元年」かもしれない。

 1991年4月11日、東京での7年間のシステムエンジニアとしての生活にピリオドをうち、
故郷、加古川に帰郷。13日に親の会社に入社。私にとって人生の転換期であった。
この年のレースはすべてTV観戦、前よりもSUZUKAには近くなったものの、
サーキット観戦が出来ない状態が続いた。

 そして1992年10月、約2年ぶりにSUZUKAへ、’92 F1日本GPの決勝のみ日帰りで
観戦。その後は、毎年、F1日本GP観戦を続けているものの、’95年までは決勝のみ、
ハードなF1観戦となった。しかし、’96年からは土、日曜日観戦になった。

 今年2001年F1日本GPで、F1 SUZUKA観戦を休止。

 でも、再び、SUZUKAで、F1と会えることを夢みて・・・・・・・
 1990、あの時と同じように・・・・・・・